ゆずりあいの意味

昨今、「ゆずりあい」の意味を理解していない、あるいは(意図的にか)はき違えている人々を多々みかけるように思う。「ゆずりあい」はつまり、「ゆずり」「あう」こと。お互いに譲るから、ゆずりあい。自分のために相手がゆずることを求めての「ゆずりあい」とはナンセンスであり、それは単に「ゆずれ」でしかない。

こんなことがあった。
人混みのなか、歩いている前を人の流れに逆らって強引に横切ってきた輩がいて、それを避けきれずに体が少し当たった。すると避けようともしなかったその輩が「ぶつかってくるな」と。強引に横切ればぶつかるのは当たり前だし、それに対し相手が全面的に道を譲るのが当然と考えている思考が意味不明。そしてそんな思考の人間が日常に存在しているのも事実。

こんなこともあった。
電車に乗ろうとすると、ドアの両側に立ちふさがって梃子でも動かない輩。その隙間を乗り降りすればぶつかるのも必然なのに、やはり「ぶつかってくるな」と。ドアは人がそこを通り乗り降りするために存在するのに、そんなことも理解できないのであろうか。少なくとも、他人が自分のためにゆずることが当たり前、という思考なのであろう。

なぜそんな思考が現れるのか。
多分それは、ゆずりあいを過剰に求める社会にあるのだろう。ゆずりあいの名の下、兎に角自分から譲ることが美徳とされ当たり前のようになった社会。そのような環境に浸かっていれば相手が譲ることを当たり前のように思考する輩が現れてくるのも不思議ではない。現代のマナー社会の歪みといえよう。

そのような思考と行動原理の輩と同じ空間時間を共有しなければならない社会に嫌気がさしてくるものの、それでもこの社会で生きていかなければならない。

そうなってくると、今後のゆずりあいとマナーの有り様について考えていかなければなるまい。

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